ウルトラヴォックス ― ザ・ストーリー
ウォーレン・カン インタヴュー 聞き手:ヨナス・ワースタッド



ULTRAVOX - THE STORY
WARREN CANN INTERVIEWED BY JONAS WÅRSTAD

The copyright of this interview is owned by Warren Cann and Jonas Wårstad.
Copyright (c) 1998-11-14 Warren Cann and Jonas Wårstad.

The original interview in English
http://www.discog.info/ultravox-interview3.html


Translated by S.Y.


Part3


1978年8月 4日 - 4枚目のシングル’Slow Motion/Dislocation’

 シングル'Slow Motion'は作曲面でもライヴの演奏でも大好きな曲さ。この曲は全ての要素が完璧にフィットし曲全体をよりすばらしいものにしていると思うよ。当時この曲はロックとシンセサイザーの融合を果たした曲のひとつで、色々なアイデアや目標を具体化できたから僕達も興奮したんだ。

B面'Dislocation'はスタジオ入りする前には全くなかった曲で、'Just for a Moment'を作っている時に偶然できたんだよ。'JFAM'のバスドラは生ドラムでもリズムマシンでもなく、ビリーのアープ・シンセで作ったんだ。そしてたくさんのエフェクターを使っていじくり回しているうちにへんてこな音が色々できて、僕達はあの耳につく繰り返しのフレーズに出くわしたんだ。
僕達はそれを聞いて、これを使って一曲作らなきゃって感じたよ。

一つ問題があったんだ。僕達がその音を見つけた時は'JFAM'の録音中で、マルチトラックのテープが回っていたんだ。本来は'JFAM'用の音でまだ録音中だったから、その音がどうやって出来たか誰も伝える事ができなかったんだ。
しかもシンセはミキサーに繋がれてエフェクトの迷宮を通っている…それぞれが微妙なバランスで成り立っていたんだ。どうやってあの音を再現できるかわからなかったよ。その後注意深く何度も音を作ってゆき、あの時の音に近づけていったよ。そういうのって全く同じには作れないものだからだめだろうって思ったけど、結局同じ音が出来たんだ。一体どうやって出来たんだろうね?
方法は簡単だったよ。同じマルチテープに2曲録音したんだ。なぜそんな事ができたかって?'JFAM'はまだ未完成で、テープにはまだ空きスペースがたくさんあったからなんだ。すごくラッキーだったけど実現可能だった。24トラックのうちいくつかはまだなにも録音されていなかった。他のトラックは一部何かが録音されていたから僕達はそこにぶつからない場所に録音したよ。

全体を繋ぎ合わせるのはまるで手品のようだったし、あの曲のミキシングはコニー(プランク)のSSLのコンピューター制御のミキサーじゃなかったら無理だったろうね。とても悩まされたけど僕達は最後までやり遂げたし、出来上がりにはすごく満足だったよ。スタジオの終了時間が来なかったら僕達はその調子で作業を続けていたろうね。

僕達が作品を透明やカラーレコードでリリースしたかった理由は、単に見た目が格好いいからだけではなく(確かにすごく格好よかったけれどね)、またコレクターを満足させるためではなかったんだ。当時の他のアーティスト同様、僕達は自分達の作品を商業的に可能な限り高品質で出したかったんだ。
結局僕達の音楽を人々の生活にもたらす媒体は、単にプラスティック素材の板切れに刻まれた溝に乗っかっている小さな波の上を跳ねる細い針だったんだ。
(ここでちょっと考えて。これは信じられないほど天然のプロセスなんだ。いつもそれが起きる事が不思議だったんだ。)

レコード製作の技術面では僕達の努力の範囲を遥かに越えた事がたくさんある。
どこでプレスされたのか、いくつ工程を経るのか、使用されたビニールの在庫、それぞれのレコードがその型をどれくらいの間使ったのか、等。
僕達がマスタリングに立ち会っても、完成したマスターテープはそのままプレス工場に行ってしまう。当時僕達はレーベルの印刷のないテスト盤を作って試聴し、音質や音飛びを確認してからマスターテープを渡していたんだ。
マスターテープと同じように聞こえなかった時は僕達は2度目、3度目のテストを要求したんだ。
これを考えると、例えばイギリスでは所定の時間には限られたプレス工場しかなく、他の人のレコードもプレスしなくちゃならない事になるんだ。僕達のだけじゃなくてね。プレスの依頼がピークなると、工場側は仕事をこなすためにフル操業になるだろう。こんな事がよくあったから僕達とレコード会社の間でいつリリースするかという事で意見の一致はなく、彼らはただ彼らの仕事をこなしただけだった。
事実、営業部門は起こり得るトラブルを回避する為の対策をしただろうけれど、一般的にリリースの日程が決まりその為の計画が決まると、リリースされるまで関わる人全てにものすごいプレッシャーがかかるんだ。

例えばブルース・スプリングスティーンの大作アルバムが同じ時期にリリースされようとしている事が続いて明らかになったら、レコード会社は相当な利益を確保し、全てのプレス工場は初回出荷を最大にする為に24時間操業する事になるだろう。他のメガヒット作のプレスの注文が重なったような状況も考えて、僕達、そして他のたくさんのアーティストはプレスできる時、できる所でしておかなくてはならなかったんだ。そしてそれは、僕達が出すレコードはプレス工場の金型から通常より少し早く飛び出す事がありそうだ、という事を示していたんだ。
レコードから1,2秒削る事、一万枚のレコードを複製する事、レコード会社が義務を怠って工場を救済する為に重要な時期を合計する。このように定期的にレコードを出せないアーティストは軽視されがちだったんだよ。

また、素材のビニールにも問題があったんだ。60年代中期から後期のレコードのレーベル部分を良く見ると、'Dyna-Flex'という小さなマークがあるはずさ。'Dyna-Flex'は、それまでの厚くて脆い物よりも大きな躍進を遂げたビニールとして紹介されていた。
もし持っているレコードでU字型に曲げられる物があれば、それはDyna-Flex製さ。つまり、曲がってしまったレコードはレコード会社に返品されたんだよ。
う〜ん…。
プレス工場が内部でやりくり出来ない時は、同時にそのアーティストやグループが十分成功した瞬間で、プレス工場側はインク、紙、接着剤などによって汚染されてないビニール・ストック、以前に返還されたストックを溶かしたものでない、いわゆるヴァージン・ビニールでレコードを作るだろう。
こういうケースは非常に稀で、多くの人々には少なからず名誉な事だったんだ。

プレスの順番が来て、僕らはその素材が主にどのように使われているのか聞いてみた所、厳密にはクラッシクのレコード用に使われるという事を教えてもらったんだ。
「ポップスに使うなんてどういう事だ?」だってさ。何て排他的なんだ!
それである日気付いたんだ。「ちょっと待って。黒いビニールは製造工程が違うんだ。素材を隠す為に黒くするんだよ。だからもし透明のビニールにしたら…(何か他のものを混ぜたら透明にはならないから)、それはヴァージン・ビニールじゃないか!」
従って可能な場合は(通常は限定12インチシングルだけど)、僕達は透明もしくはカラービニールでリリースしたんだ。
僕は音質の違いを作ったレコードを出す事ができてよかったと思うよ。


1978年9月11日 - 三枚目のアルバム'Systems of Romance'

 'Systems of Romance'は僕達の代表作だ。1stは結成時からその時までのいい曲を集めたもの、2ndは僕達の進歩と勢いで作った。
でもこの新作は、僕達が自分達の確固たる、自分達だけのポジションを築き始めたという印象を与えてくれた。僕達は何かよくわからないものに近づいている事に気づいていたんだ。よくわからないけど陶酔するような感覚があったんだ。僕達はアルバムの出来に満足していたから、翌年アイランドから契約を切られるなんて夢にも思っていなかったよ!

ヨーロッパの各地で演奏した事、そしてロンドン/イギリスで感じる真摯で覚醒した感覚が、コニー・プランクと一緒にケルンにある彼のスタジオで新作を作る事を決めさせたんだ。僕達は新しい環境が欲しかったし、そこには僕達の目指すものやインスピレーションがあると思ったんだよ。
コニーと会って仕事の話をした時、彼の音作りに対する姿勢が印象深かった。
彼は因習にとらわれずとても現実的だったよ。時々言葉の違いによるちょっとした問題もあったけど、一緒に作業を始めてすぐに僕達は波長があう事がわかったんだ。
ドラムス、ベース、ギター、キーボード等の基本的なレコーディングは普通だったけど、僕達はその後の処理で色々実験を試みたんだ。僕はドラムスにリバーブ、エコー、フェイザー、フランジャーをかけて面白い効果を発見し、その後ディストーションを試してみたんだ。ドラムスのためにプラスであると考えられるものではないけどね。少しだけかけてみると、音が固くなりドラムスが際たって聞こえたよ。コニーのアシスタントの一人がギター用ディストーションを改造していたからそいつはドラムスにぴったりだったよ。僕達はその機材をかなり多用したね。
コニーと一緒にアルバムを作り始める頃にはロビンは僕達の演奏にすっかり溶け込んでいたよ。まだ彼が慣れない頃から、彼のギタープレイには触発される物があった。彼はバンドを進展させたし、曲のアレンジに新しい要素を持ち込んだんだ。

I Can't Stay Long
これはお気に入りの一つで、壮大な感じがするしライブでやってもすごく楽しい曲だよ。僕達がもしあと数年一緒にやっていたらライヴで初期の3枚から1、2曲サプライズで選んでたかもね。そしたら僕はこの曲に一票入れるよ!僕はきっとこの曲は選ばれると思うよ。

When You Walk Through Me
この曲のリズムはある曲のパクリなんだ。おっと、トリビュートって言った方がいいかな。ビートルズのTomorrow never knowsだよ。僕はばればれだって思ってたんだけど、誰にも指摘されなかったなあ。もうわかったでしょ?

Quiet Men
これは僕達が“特別な何か”を感じたもう一つの曲。誰でもこの曲のように全ての曲を際立ったものにしたいと思うけど、そうはいかないものだよね。

Just for a Moment/Dislocation
(前述の通り)これらの曲のドラム音は、ビリーのシンセとMTRを精巧で丹念に「虐待」して得られたんだ。僕達はシンセでパーカッシヴな音を作って鍵盤の前に立ち、曲のテンポに合わせて叩いたんだ。すごくいい音だったけど、ちょっと過激だったから録音の際にちょっとトーンダウンさせたよ。
それをトラック1に録って、音をミキサーに戻してイコライザーで低音を除去したんだ。そうやって僕達は様々な音をイコライジングし、トラックを移していった。僕はミキサーについてる'send -to-tape'というボタンを使って音を抜き差しし、不必要な部分をカットしていったよ。このようにして、シンセで作った「スネア」の音の2拍目と4拍目を抜き出しトラック2に録音したんだ。
時にはフェーダーを使っていらない音をうまく編集したりもしたんだ。

それから僕はトラック1にディレイ、フィルター、コンプレッサー、ノイズゲートをかけてシンセのハイハットの音を作り、トラック3に録音する事を思いついたんだ。トラック1にそのままエフェクトをかけるから、タイミングは問題なかった。
この方法で僕達は色々なリズムを重ねる事ができたんだ。退屈な方法だけど有効だったしユニークな音が出来たよ。

僕達は事前にロンドンに戻って録音の準備を済ませていたけれど、インスピレーションを生かせるように曲を作り込まないようにしておいたんだ。スタジオに入った時に感じた事を生かせるようにね。このレコーディングの頃から僕達はこういったやり方に親しんでいたんだ。その後作ったレコードも大体この時の経験が生きているよ。荒削りのままだったけれど、その後浮かぶであろうアイデアや実験、スタジオ設備の拡張を考えて曖昧な部分を残しておいたんだ。
もう3枚目のアルバムだったから、僕達はこのアルバムが次に続くようにしなくちゃいけない事はわかってたし、実際それは重要な事だったんだ。録音が終わった時点でも僕達はこのアルバムに手ごたえを感じていたし、今でもメンバー全員僕達のベストワークだって思ってるよ。思い起こせば、'Someone Else's Clothes', 'Blue Light', 'Some of Them', 'Maximum Acceleration' 、これらの曲は僕達が一緒になってバンドで作った最後の曲だったんじゃないかな。 'I Can't Stay Long' と'When You Walk Through Me'は多分違ったと思うんだ。
.'Slow Motion', 'Quiet Men', 'Just For A Moment', 'Dislocation' はスタジオで作りあげていったんだよ。


[Interview Part4]



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