ウルトラヴォックス ― ザ・ストーリー
ウォーレン・カン インタヴュー 聞き手:ヨナス・ワースタッド
ULTRAVOX - THE STORY
WARREN CANN INTERVIEWED BY JONAS WÅRSTAD
The copyright of this interview is owned
by Warren Cann and Jonas Wårstad.
Copyright (c) 1998-11-14 Warren Cann and
Jonas Wårstad.
The original interview in English
http://www.discog.info/ultravox-interview2.html
Translated by S.Y.
Part2
1977年10月 14日 - 二枚目のアルバム’Ha !-Ha
!-Ha !’
'Ha! Ha! Ha!'はシンセサイザーやドラムマシン等電子楽器を使った、僕達にとって初めての実験的な作品となった。当時僕達はレコード会社と契約があってある程度のお金があったから、当然新しい機材を買ったんだよ。
当時の僕達の機材はまだ基本的な物ばかり。ギター、アンプ、ドラムス、古いエレピ/オルガン等。もちろんMIDIなんてないし、ミニモーグも珍しくて新種の小動物みたいだったよ。一方僕達のギターやアンプはかなりベーシックなもので、当時僕達が望むような機材はあまり売っていなかったんだ。
でも僕達はメロトロンは買おうとはしなかった。もしそれを与えてもらって、しかもメンテナンスまでやってもらえていたらきっと使いまくったと思うけどね。
クリスは初期のシンセサイザー、EMS 'Synthi'を買ったんだ。それは変わった機械で、ブリーフケースの蓋の中に平たい金属板で出来たキーボードが並んでいたんだ。個性的で素晴らしいけど、とてもきまぐれで安定性に欠けていたんだ。一時間ほどウォームアップが必要だったし、そのくせチューニングが不安定なんだ。だからチューニングの必要がない効果音でしか使われなかったんだ。
ビリーは、それまで使っていた安物のヴァイオリンと、ブリッジの下にそのまま突き刺していたピックアップマイクに代わる、よりプロフェッショナルなエレクトリックヴァイオリンを探していたんだ。
'Ain't Misbehavin'で得たお金で買ったCrumarのエレピはずっと壊れたままだったけれど、何を代わりに使ったかは覚えていないんだ。僕達がよく使ったストリングスの音がセットされていた物だったな。本当の宝物は新しいシンセサイザー、ARP
Oddessey Mk.1だった。バッキングには不向きな一方、ソロではとても豊かな表現力を持っている事は、僕達がその後作った多くの曲で証明している。
僕達はライヴでシンセを使う事を度々批判された(恐らくレコーディングに関してはまだ明白ではなかったけれど)。僕達の使い方を考えると、これは大きな妨げになった。何て考え方が古いんだ。ARP
Oddesseyは僕達が今まで聞いたシンセで一番激しく野性的な音を出していたんだ。頭蓋骨を針で壁に打ち付けられる様な、脳味噌が耳の穴から飛び出す様な、そんなノイズだった。誰がそれを「疲弊していて芸術家気取り」なんて思うんだ?だから僕達はそれをわからせるためにより大きな音で演奏したよ。
'Ha! Ha! Ha!'の製作も半ばを過ぎた頃、僕は初めてリズムマシンを買ったんだ。
それはローランドのTR-77という機種で、60×30×10aの化粧板で覆われていたんだ。横長の操作盤にはプリセット・リズムを選ぶ様々な色のボタンが並んでいたよ。左上の小さいメッキ棒は、スタート/ストップのスイッチで、いわゆる機械式スイッチではなく、触る事によってアースが繋がりスタート/ストップを伝える変わったものだったんだ。
スライダーはそれぞれボリューム、テンポ、楽器音のバランス調整用で、マラカスやハイハットを強調したり、バスドラ、スネアを小さくするものだった。後ろには電源コードと出力ジャックが一つあった。
前面にはワルツ、マンボ、ルンバ、チャチャ等のプリセットリズムの名前が書いてあったよ。パブやレストランで演奏するピアニストやオルガニスト用に作られたんだと思う。船で演奏するバンドも使ってたに違いないね。TR-77は自分でパターンを作る事は出来なかった。全く原始的だったけど、何せ1977年だからね!
僕達はリズムマシンの正確なリズムが生み出す魅力的な効果に惹かれたんだ。
僕はリズムが鳴っている間にプリセットボタンをいくつか同時に押すと、リズムが複合してプリセットパターンよりもっと使えるリズムになる事に程なく気付いたんだ。
古いカーラジオで局を探すようにボタンを押したり引っ込めたり、バランスコントロールを動かすと面白いリズムが作りだせたよ。
音を変化させるために僕は出力をフェイザー、フランジャー、ディストーション等のギター用エフェクトに繋いでみたよ。
楽器の音はばらばらに出せないから、例えばフランジャーをかけたら否応なしに全ての楽器にフランジャーがかかったよ。僕はバンドの予備のギターアンプにTR-77を繋いでドラムキットの横に置いたんだ。
テンポの調整スライダーはどうしようもなく扱いにくかった。スライダーをちょっと動かしただけでテンポが激しく変わるんだよ。それとあのスタート/ストップのスイッチ!曲の途中ちょっと触れてしまっただけでリズムが止まるなんて事がしょっちゅうだった。
そんな時僕はタイミングを取ってまたスタートさせるんだけど、うまくいかないとバンド全体のリズムがガタガタになったよ。
最初に使った曲は“Hiroshima Mon Amour”だった。デモ段階ではロック調のアレンジだったんだけど、それを聞いてリズムマシンを試してみようと思ってアレンジし直したんだ。録音はフォノグラムスタジオで、ビリーの友達のサックス奏者C.Cとエディ・マーラブが来てたよ。一体どうなるか来てみたんだ。
通常僕達は自分達で演奏できないものは入れたくないんだけど、この時は例外的に試してみたんだ。
C.Cのためにコントロールルームでバックの演奏が2回再生された後、彼はブースに入って2テイク録ったんだ。
最初のテイクの方がよかったからそっちが選ばれたよ。TR-77は僕達を新境地に導いてくれたよ。その後僕達は’Quiet
men’の録音や、'He's A Liquid', 'Touch and
Go'のライブに使ったよ。
ROckwrok: この曲のレコーディングはあまり憶えてないけど、ドラムのフレーズはありそうもない出所なんだ。この曲は、チュビー・チェッカーの「レッツ・ツイスト・アゲイン」と同じリズムなんだよ。重要な背景がここにあったんだ。この曲がBBCでかかるのは面白かった。僕達の曲って事だけでなく、局はこの曲の歌詞に気付いてなかったらしいんだ。サビで’Fuck
like a dog”と叫ぶ曲を(DJの)アーンティ・ビープがかけるのを聞くのは楽しかったね。破壊的な要素を見送られたか、それとも眠かったのか、どっちだろうね?
ROckwrokっていう変なスペルだけど、これはジョン・フォックスがスリーブに曲名を載せる時に書いたもので、単なるファッションなんだ。きっと彼はその方がいいと思ったんじゃないかな。
The Frozen Ones: フェードアウトで終わってるけど、僕達はこういう場合その後色々やってるんだよね。バックトラックを録音する時点でフェードアウトになる事がわかっている曲では僕達は曲の終わりで、誰かが大きな失敗をするか、飽きるか、ゲラゲラ笑いだすまで突っ走って演奏したよ。かっこいい演奏もあったけど、その部分は曲が終わるべき時点から2分後だったりするから使えなかったんだ。
Fear in the Western World: 最後のフィードッバックは殆ど別の曲で、5分間位録音したんだ。で、個別にタイトルをつけてアルバムに入れようとしたんだ。なぜやめたかって?何度か聞いて、作った方はアナーキーで楽しかったけどリスナーはそうは思わないって気づいたんだ。こんなブっとんだものを5分もアルバムに入れるなんて、すごくわがままに思えたんだ。自己批判じゃないけど、僕達ははめを外しすぎたし、みんな自分でお金を出して買うレコードだからね。その代わりライブではハチャメチャにやったよ。
Distant Smile: まるで混沌から穏やかな湖に倒れこむ様に、フィードバックから滑らかにDistant
Smileに移る。僕達は録音技術を使ってピアノから漂うようなアンビエント音を作ったよ。僕達はこういった実験がすごく好きだったんだ。
The Man Who Dies Every Day: ビリーのシンセはバンドの音とどんどん一体化していった。この曲は僕達がずっと作りたいと思っていた感じの曲の一つだね。ベースラインは面白くて、シンセベースでもいける事は間違いないね。でもこの時はまだベースギターだったよ。
Artificial Life: この曲はシンセを多用していているように思えるけど、奇妙にも違うんだ。さらにさらにピアノやストリングス音があってエンディングのバイオリンは殆どギターみたいだよね。でもこれらはシンセに触発されてるんだ。
僕達はシンセサイザーに熱中して、その可能性に興奮していたんだ。まるで曲がりくねったエレキギターみたいな音がしたし、ギターよりもすごくて複雑な楽器に思えたよ。一般にシンセサイザーは発信音やロボットボイスを出す物と思われてるみたいだったけど、僕達はこういう曲がそのイメージを変えるんじゃないかって思ったんだ。
While I'm Still Alive: 曲の良さは置いておいて、この曲はアルバム中一番軟調の曲だね。僕にはこの頃の僕達の状態を表しているように思える。"Hiroshima
Mon Amour"の前に置いて最適だと思うよ。
"Ha! Ha! Ha!"の後で、僕達はバンド名から「!」を外したんだけど、それまで僕達はかなりエクスクラメーションマークを使って来た。最初の頃は楽しくてやっていたけど、だんだんと残すか外すかで議論が続いたから外す事にしたんだよ。
’Ha !-Ha !-Ha !’初回盤の特典シングル’Modern
love(live)’
'Modern Love'はレインボーでのライヴ。この曲は好きだったけど、アルバムには収録されなかったから特典用に選んだんだ。B面の'Quirks'はいわゆる「短くて楽しい曲」として作ったんだ。これもお気に入りの曲さ。1stの時’Satday
night~’のような短い曲は収録に迷ったから、僕達はあえて曲を長くするような事はしなかったんだ。だからこの曲は残っていたんだけど、シングルB面にはちょうどよかったと思う。
1977年10月 14日-3枚目のシングル’Rockwrock/Hiroshima
Mon Amour(live)
何も思い出せないなあ。’HMA’はどこで録音したんだろう?それがわかれば思い出せそうなんだけど。
1978年2月 - ライヴEP’Retro’
[The Man Who Dies Every Day & My Sex
- live at the Huddersfield Poly]
この日のライヴは特に思い出せる事はないなあ。僕達はPolytechnicで何度もやったから、これもその内の一つだね。
[The Wild, the Beautiful and the Damned -
live at The Rainbow, London]
これについてはもう話したね。
[Young Savage - live at The Marquee, London]
この曲のライヴ録音はいつのでも好きだけど、このテイクはマーキーでの熱気をちゃんと捉えてるよね。このEPが全部マーキーのだったらよかったのに。
アイランドの保管室にはこういうテープが残っているはずだよ。ちゃんとリリースするべきだよね、(演奏を)ミスしている部分も隠さずにね。
1977年末/1978年初頭 - ギタリスト、スティーヴィー・シェアーズ脱退
"Ha! Ha! Ha!"のツアーが終わって次のアルバムの構想を皆で練っていた頃、僕達はある決断をする時だった。僕達の友人でもあるスティーヴィー・シェアーズのギタープレイがバンドのアレンジから外れだし、それを解決するにはギタリストの交代しかなかったんだ。
僕達より少し年下で比較的経験の浅いロビン・サイモンが新たに加入する事になり、僕達は再び活気づいた。彼のスタイルはほぼ確立していて、不確定だった部分も新アルバム"Systems
of Romance"の録音では完成されていたよ。
そういえば彼は参加して10日で僕達の曲をマスターして、オランダ・ツアーの終わり頃にはバンドでの役割をすっかり果たしていたな。
[Interview Part3]
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