Ultravox Lx I xVxE Report
1982.2.25 中野サンプラザ

投稿者 まじろうさん (1999.8.4 執筆)


Ticket

入場客は3派に分かれていたと記憶しています。

(1)ジョン・フォックス在籍時からULTRAVOXファンだったパンク&ニューウェーヴ派。
(2)当時のTVCFで話題になっていた『ニュー・ユーロピアンズ』1曲につられて来てしまった派。
(3)ミッジ・ユーロの一連のプロジェクトが好きなニューロマ派。

僕自身は(1)が70%、(2)が30%という立場で観客席にいました。(『ニュー・ユーロピアンズ』のようなヒット曲に興味が無い、なんて言って気取っているつもりはありません。僕はヒット曲大好き人間だし、興味がある楽曲はライブよりもレコードの方が楽しめる体質なんで。) 

その当時、来日するニューウェーヴ系アーティストのライヴ公演の大半は観に行ったつもりですが、ULTRAVOXは「特殊」でした。ギミックもサービスも“強引な押し出し”も無いまま、淡々とレコード(当時はCDが無かった!)の音を再現していく進行。「大人のニューウェーヴ」と呼べば聞こえは良いけれど、単に“地味”だった印象を思い出します。当時の新作『エデンの嵐』のジャケデザインをあしらった背景と、意味ありげに配置された無機質な白のオブジェ。妙に殺風景な空間から彼等の主張を感じました。ミッジ・ユーロが先導したフューチャリスト・ムーヴメント(デュランデュラン、ヒューマンリーグetc)がエンターテイメント性を極限まで高め、米国進出に成功していく様とは対象的なステージ・コンセプト。 これがフューチャリストのブレイク前夜の偽らざる光景でした。もちろん、派手さを回避したのは、ミッジ・ユーロからジョン・フォックスに対する遠慮だったのかも知れないけれど…。このステージデザインに顕著なように、この時期のULTRAVOX(およびミッジ・ユーロ)は“過渡期”だったんだろうと思われます。“フューチャリスト”“ニューロマンティック”と断言するほどお洒落だったわけではなく、ジョン・フォックスのソロみたいな“芸術家気取り”も無い。アートとポップ、マイナーとメジャーの中間地点で、遠慮がちにULTRAVOX独自の“居場所”を模索しているような時期だったのだろう。良くも悪くも「MTVが爆発的に勢力を拡大する以前のポップ音楽」として、価値観の変動期にぶつかった「狭間」だったわけです。パンク&ニューウェーヴから、メガヒット・ポップ時代までの「狭間」をULTRAVOXが担ったという事実は、今となっては明白に理解できますよね?

ライブは、レコードを聴き込んでいない観客には退屈な舞台進行だったと思います。この時期のULTRAVOXは、どう考えても室内リスニング対応の音楽をやっているわけで、ライヴを盛り上げる楽曲ならばジョン・フォックス期の方が充実していますよね。(だって、パンクなんだからさ!) 僕はシンセの音色がレコードと同じだなあ、などと感心しました。これも、裏を返せば観客として余裕満々だったわけですね…。こんなショーの中で、たった1回だけ熱気を帯びた瞬間が忘れられません。その状況を可能な限り再現してみましょう。(頭の中にしか保存されていないデータなので、正確さには欠けることをご容赦下さい)  

ポマードでテカった短髪+口髭に、白のタンクトップというスタイル(今、考えるとださ〜い!)のミッジ・ユーロがギター(たしか、YAMAHAのSGだったと思う)のセッティングを完了。明らかにギターの音質を変化させたことが察知できた。 得意気な表情で1回だけ、コードを鳴らす。「ギャッッッッッッッ」 (あ、この「ッッッッッッッ」はディレイね。) 観客は大歓声。そう、『ニュー・ユーロピアンズ』の“例のコード”なんですよ。客の反応に「してやったり」というミッジ・ユーロのニヤケ顔に続いて『ニュー・ユーロピアンズ』を演奏しました、当然。 コード1発を鳴らして、楽曲を特定できるニューウェーヴのアーティスト及び楽曲なんて少なかったんじゃあないですかねえ?(クラッシュの『ロンドン・コーリング』ぐらいか?) それ程、印象的なコードだったわけですね。(沢田研二が執拗にパクッてましたよね。『麗人』とか『ラ・セゾン/アン・ルイス』とか…)

『ニュー・ユーロピアンズ』の演奏が終了すると、熱気を帯びた会場はまた穏やかなムードに戻り、淡々と進行し始める。でも、僕はわかっていた。この淡々とした空気が解放される瞬間が用意されていることを。 解放の瞬間とは、当然、『ヴィエナ』演奏の瞬間。 事実、会場中の空気が『ヴィエナ』によって解放されたし、この日のステージがその一瞬の為だけに存在したかのような至福感を味わった記憶があります。

この日のステージで『ヴィエナ』が解放したモノとは何だったのだろう?まさか、淡々とした室内リスニングをライブに導入して、退屈になりかけた気持ちを解放しただけじゃないはずだ。 今となっては、過去を美しく語ることが可能なので、とびきり美しく表現するならば、それは「ジョン・フォックスの呪縛」からの解放だったような気がする。この意味を翻訳すれば、英国音楽がアンダーグラウンド(パンク)から、オーバーグラウンド(世界規模の成功)に解放する為の産声が『ヴィエナ』だったのかも知れない。その為に葬り去る対象(生贄)としてのジョン・フォックスは適任だ。(イアン・カーティスは、まだ無名だったしね…) ジョン・フォックス派がミッジ・ユーロ(及び第1期以外のULTRAVOX)を否定する理由は、ここにある。表向きは「親殺し」を断罪する姿勢に見えるが、実情は「子供の世代」を受け入れなかった結末だと僕は思う。当時の僕はミッジ・ユーロを恨んだりもしたから理解できる。でも、99年の僕はこう思う。ミッジ・ユーロの取った行動は正しい。後ろ向きな芸術家よりも、前向きなプランナーの方が正しい!

このライブの時期を境に英国音楽シーンの「過渡期」が終了し、ULTRAVOXは「狭間」の使命を完遂する。 出来すぎた物語だけれども、これは事実だ。 知っているでしょ?

この日のライブを観た後、僕は「ULTRAVOXの定義」を変更した。ジョン・フォックス期だけがULTRAVOX!という考え方をやめた。そして、個人的には徐々にパンク&ニューウェーヴから遠ざかった。それは、自己否定でさえあった。今思うと、ULTRAVOXのライブが僕にとっても「過渡期」「狭間」であったような気がして、懐かしい。

Midge Ure

貴重なパンフレットの写真です。

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